室蘭市史(市場)
昭和30年代後半に編纂された、室蘭市史に記載されている市場に関する記述についてご紹介します。
第4章産業と経済(市場)
公設市場と店舗併存住宅
昭和28年3月、市では鮮魚類を安く市民の台所へ供給しようと、海岸町の旧公設市場を再開することになり、賃貸していた旧市場の店子、有限会社室蘭船食と室蘭食料品雑貨商組合に対して、3月末の契約期間まで明け渡し方を申し入れ、明け渡し後には、都市計画によって実施することとなっていた道路側を引き下げ、建物全体を改造して、市公設市場として再開されることを予定していたが、その後、道の融資店舗併存住宅として計画を変更し、共同店舗形式にすることになり、昭和29年12月21日にこれを完成した。
3魚菜市場の統合と室蘭魚菜卸売市場
昭和28年9月、室蘭機帆船底挽き漁業協同組合と、室蘭漁業協同組合の両組合が共同経営計画を進めていた丸室、丸市両市場の共販市場は、同月15日から業務を開始の予定で進めていたが、共販市場の性格主体が、生産者団体であることから、一方的な運営が行なわれるおそれがあるとして、両組合が協議のうえ、市場運営協議会(委員15人~20人)を設けて、生産者市場の独善性を排除し、魚市場の公益性を堅持する方針を決めた。しかし、運営資金の確得難と、丸室市場側が買収反対の態度をとったため、開設は困難となった。その後、丸市市場と室蘭水産物小売商組合との間に現金でなければ「売らぬ」「買わぬ」の対立にまで発展していった。この合併問題は、生産者保護を目的に、市場過剰による代金の焦げ付き解消という前提であったにも関わらず、3者3すくみの形で暗礁に乗り上げてしまった。丸市側としては、両市場の統合に反対するとともに、商組合の不信行為をなじる感情問題も絡んで、代金未回収の経営面から商協組保証代金返済契約を破棄した。これに対して商組合は、明らかに丸市側の挑戦であると、組合一致して丸市をボイコットした。このため、丸市のセリ値に響いて、他市場より3割~4割方安い建て値となり、商組合以外の仲買い人がセリ落としたものを他の市場に持ち込み「転ゼリ」するものも現れる始末であった。こうした実体に対して道は、深い関心を寄せ、10月13日に道水産課長ら一行が来蘭して、現地調査を行なうと同時に、問題の早急解決に乗り出した。ここで市当局としても、問題の黙視は、許されず第1段階として、市独自の調査を進めた。
一方、3魚市場側は、小売り市場沢野喜代治社長の呼びかけで、同日3市場の代表者が丸室市場会議室に集まり、問題解決について協議した結果、原則的には、3市場の統合には賛成であることを確認し、友好的に解決を推し進めることに意見の一致をみた。さらに一部業界筋では、既設市場の建て物を、市が借り入れたうえ、統合後に市場業者に寄与するという希望の声もあって、公設市場の形式をとる方向に進んだ。こうして同年10月27日、佐藤道漁政課長らの意見もあって、関係者から個別に事情を聞いたり、市に対するあっせん依頼などにより、市営市場体制の話し合いがまとまり、ここに、さしもの難題も事態は好転、ようやく1本化にまとまった。このあとに残された問題は、統合後の補償問題となり、市理事者も、いちおう市営市場の設立基準を決定し、昭和29年1月29日の市議会議員協議会に了承を求めたが、重大な問題だけに魚菜市場調査特別委員会(9人の委員)を設けて、審議を進めたが、一進一退の状態をつづけるのみだった。しかし、4月に至って丸室側の室蘭水産物商業協同組合と、丸協経営の室蘭機帆船底挽き網漁業協同組合との間に意見の一致をみたので、丸協組の事務所、せり場を閉鎖して丸室市場に業務を集中することに最終案が決まった。
この決定にこぎつけた裏には、丸室市場は3,000万円の赤字を抱いているうえ、業績が不振をつづけていること、丸協市場は、拓計埠頭基部埋め立て工事によって漁船の接岸部分を失うことから、両者の話し合いが進んで、合併実現に至ったようである。
両市場の統合方法は、水産物商協組が無償譲渡を受けた沢野、須貝、宮森、本間、清水ら5人の所有株6万株(300万円)を機船底挽き網漁協組に無償譲渡し、新市場に生産者組合である機船底引き網組合と、市場仲介人を兼ねている小売り業者の組合である水産物商協組の代表者で運営されることになった。また機船底引き網組合は市場外にあって協力、丸室市場の債権債務は、一切新市場が継承することになった。新市場はそ菜類も取扱い、資本金1,500万円(受託資本5,000万円)で、昭和29年9月13日に創設され、社長に富田嘉市が就任室蘭魚菜市場とした。
千歳町市場と蘭西ビル
昭和28年11月、市は都市計画を実施するため、千歳町50番地の千歳市場(経営者故青山正男)の撤退について、札幌市地方裁判所室蘭支部に起訴をおこすことになり、市議会の決議を得て、この法的手続きを弁護士土井勝三郎に依頼、同年10月30日、土井弁護士を起訴代理人として青山ほか30人を相手取り、地裁室蘭支部に「仮設建て物並びに土地明け渡し請求」を正式に起訴した。その結果、昭和30年9月30日に調停成立し、翌昭和31年3月末までに建て物の収去、土地返還を行なうこととなり、市側の示す、一定条件のもとに明け渡すこととなった。千歳町市場は、引揚者の露店営業のため、青山正男が代表となり、昭和22年8月、同地に(1)バラック建て小屋型(2)必要な時はいつでも解約する(3)賃貸期間は1カ年の条件付きで、土地使用の許可を受け、同年9月中旬から営業を始めた。その御1カ年の使用延長をするとともに都市計画施行の時は、建物を撤去し、土地を明け渡す念書を入れた。市では、昭和26年10月、同地区の交通が激しく危険なため、都市計画による街路広場とする計画をたて、昭和27年3月20日に6カ月の猶予期間を与えて、青山に解約を通知した。しかし、その後、市場内の店子に対する代替え地問題や、移転補償などの話し合いがつかず、市では、昭和27年暮れ、弁護士土井勝三郎に円満解決の道を講ずべく法的手続きや判例の研究を依頼し、都市計画推進のテストケースとして注目された。同市場の土地面積は、454.548平方メートルで、昭和28年3月神田トヨから185万6,520円で、市が買収したものである。なお同市場に代わって道融資の店舗(8戸)併用住宅(8戸)の通称「蘭西ビル」が昭和31年12月26日に建設された。
朝市と2つの市場
昭和30年、室蘭朝市連合会では、生業基盤の確立と、環境美化のため、同年6月、市議会に朝市営業他の選定方について陳情書を提出した。これよりさき海岸町居住者有志からも同じ趣旨の陳情書が提出されたいたもので、前議会から、この問題についてたびたび論議されていた。朝市連合会の会員は70人前後で、ほとんどが困窮者や遺家族で、魚菜類の露店販売を行なっていたが、特定の営業場所がなく、室蘭駅の付近や、炉辺で営業していたもので、環境衛生上好ましくないところから取り締まり当局の注意や、取り締まりを受けていた。しかし、朝市の会員としては、営業収益がそのまま生活に結びついていることから、室蘭駅付近を中心に転々と場所を変えては、ようやく営業をつづけていた。一方、市民もこの朝市のお陰で新鮮なものを安く買うことができるので、利用度もかなり高くなっていた。このため議会側としても、昭和30年2月の市議会定例会いらい港湾常任委員会に付託し、市営上屋の利用なども含めて実情を調査し、理事者で願意に沿うよう善処すべく対策が練られた。
しかし、市理事者としては、特定施設や、地域を指定せず、朝市営業のできる場所の選定という幅広い陳情形式がとられた。結局、市議会は、5月28日の産業常任委員会で、朝市連合会の「朝市営業他の選定方」についての陳情を審議し、暫定的に市内海岸町田中通船横のあき地を指定し、営業他とすることに決定した。翌昭和31年には、暫定的な措置がとられていた朝市は、中央共同市場としての形態に生まれ変わり、場所柄も一般消費者に利用便な本市の銀座といわれる浜町にあって、消費者へ新鮮な魚菜を提供して経営の維持につとめている。
青果魚菜市場
本市には地方市場としての室蘭魚菜卸売市場、室蘭合同青果株式会社、室蘭農業協同組合の3市場がある。昭和36年の取り扱い量は1万6,200トン、金額で8億8,160万円となっている。産地事情は、個人出荷が35パーセント、組合出荷が65パーセント、管外個人出荷78パーセント、組合出荷22パーセントとなっている。また青果魚菜卸売人の状況は9社(株式会社6社、有限会社2社、合名会社1社)あり、1社当たりの年間取り扱い高は、640万4,000円、会社経済力は最高400万円、平均15万9,000円、最低30万円である。
以上が本市の魚菜市場の調査概要であるが、市営市場については、早急に実現すべきことを要望している。すなわち追直漁港の完成によって、同基部に市営中央市場を設置することは10年来の懸案事項であり、現魚菜卸売市場の前面埋め立てに伴い、同市場を西埠頭基部に移転、暫定的ではあるが、市営市場として発足させるため、昭和38年3月から工事にかかっている。
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