室蘭市産物市場
新室蘭市史 第三巻 第八節 市場の変遷より
明治31年(1898)3月、海岸町1番地、現在の3丁目山本船具店付近から栗林商会前の坂の上り口付近に、資本金1万円で室蘭産物株式会社本社と“せり市場”が設立された。(『古老昔日談』谷朝雄談によると、31年6月仲買人らが資本金4,000円を出資して設立したとある。)ついで、同9月に室蘭魚菜問屋が開業(33年2月、室蘭魚菜合名会社と改称、生産者が主体となる)した。32年中の取引高は産物会社が33,160円(34年は65,087円68銭『殖民公報』)、魚菜問屋が8,860円(同36,788円97銭『同書』)であり、取引高の7割は室蘭で占め、残る3割未満は白老、幌別郡(有珠、虻田郡もわずか)からの移入に過ぎなかった。
その後、39年7月、海岸町に室蘭共成株式会社(資本金1万円、その後解散)、同44年9月海岸町に漁獲から製造加工販売まで一貫営業の室蘭機船漁業合資会社(資本金1万4,000円)、大正3年1月、札幌通1番地に室蘭市場株式会社(資本金1万円)がそれぞれ設立された。
これらの市場に出荷される魚類は、室蘭・幌別・白老・勇払・虻田および茅部近海から漁獲のカレイ・マグロ・サケ・マス・ニシン・カスベ・タラ・タイ・タコなどで、漁獲物は、会社に委託してセリに付し、仲買人がこれを買い取り、冬季に漁獲するカレイ・カスベは主として青森・秋田・仙台・東京などに送られた。夏季は漁獲物が短い間に腐敗のおそれがあるため、北海道内の夕張・岩見沢・札幌・旭川方面に向けて送られた。
40年当時の相場は、マガレイ1箱(約9貫)で2円から3円、マグロ1貫匁6、70銭、ニシン1箱1円から2円50銭、メヌケダイ1貫匁1円ないし2円50銭で、1割が会社の手数料。
荷主が一手販売(特約)をするさいは、売買価格500円以下が2分、500円以上は3分の割戻しがあり、仲買人には3分を割戻した。仲買人は、身元保証金として50円から300円を会社に供託した。売買代価は、後日計算するならわしであった。
大正14年10月、室蘭漁業共同市場が設立された。これは、遠洋漁業の奨励もあり、発動機船の増加のため、翌年室蘭漁業組合共同市場へと発展し、今案での室蘭産物株式会社と併合するようになった。その後、共同市場は兼八鈴木金蔵商店(海岸町問屋坂入り口左側)へ譲渡され、株式会社室蘭市場と変わった。
太平洋戦争中は、同業界も統制経済によって、室蘭産物市場は室蘭鮮魚介配給統制株式会社となり、20年にはいっそう統制が強化されて政府の代行機関として、北海道水産会が事業にいっさいを吸収、このため北水室蘭鮮魚介出荷配給所となり、さらに室蘭水産物集出荷組合と変遷をたどった。戦後は自由経済への復帰から市場の複数制への動きが活発となり、北海道水産会(北水)から市場権を得た室蘭漁業会と、生産実績のある室蘭機船底引網漁業会との間で妥協が成立して、共同市場が発足した。しかし、21年、経営上の意見の相違から底引漁業会と室蘭漁業会を主に、消費者団体も加わって室蘭水産物集出荷組合「丸室」が設立された。
23年、底引漁業会が分裂して、新たに△(ウロコ)室蘭魚類株式会社の設立を見たので、市場の複数制は競争時代に入った。そこで、丸室は「株式会社丸室室蘭水産物卸売市場」に組織を変更して対抗した。
両市場の水産物市場取扱額は、丸室が23年に2億3千円、24年2億7千万円、室蘭魚類が23年に9千万円、24年1億3千万円で、入荷状況は底引漁業45パーセント、搬入(通称ガンガン部隊)25パーセント、移入15パーセント、地元磯漁15パーセントであった。
25年になると、小手操網漁船の整理で大型船に転換したものが、胆振機船底引網漁業組合を結成したので、転換船の漁獲を目あてに室蘭漁業協同組合が、市場開設の計画をおこし同26年、海岸町の本輪西通船隣の市有上屋を借り入れて室蘭市魚市場を開設した。このため、丸室・魚類・漁協の三社が併立して混乱を呈し、合理的な市場経営のための一大転換が要望されるようになった。
当時の各市場の取扱額は丸室2億円、△1億円、丸協2億5千万円となっている。
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