プロビデンス号
プロビデンス号について
今から約200年前の1796年、英国軍艦“プロビデンス号”がキャプテン・W・R・ブロートン中佐に率いられ室蘭港へ初入港した。当時のヨーロッパ諸国にとっては日本を含む、北太平洋アジア大陸東沿岸部は、まだ実測されていない未知の世界であった。
探検航海・全航跡
“プロビデンス号”は当初、パンの木の運搬船として1791年誕生しました。
その後1794年、スループ型軍艦に改修され探検船として活躍、1796年9月28日、初めて室蘭港を訪れました。この時、松前藩藩医、加藤肩吾らと面会し地図の交換を行ないました。
また、デンマーク人水兵ハンス・オルソンが事故で亡くなり、大黒島に埋葬しています。
10月1日、“プロビデンス号”は室蘭を出港し千島列島へ向かい、シンシル島へ到達しますが、厳冬のため探検継続を断念し、越冬のためマカオに向かいます。マカオで次の探検に備え伴走スクーナー船を購入、2隻での探検を開始しますが、1797年5月17日、“プロビデンス号”は沖縄、宮古島沖で座礁沈没してしまいます。
乗組員全員はスクーナー船でマカオに戻り、体制を整え6月26日スクーナー船で出港、8月12日に室蘭港に再来、再び加藤とブロートンは地図を交換しました。
8月22日、室蘭港を出港し津軽海峡を横断(ヨーロッパ人として初めて津軽海峡の実在を証明すると共に、蝦夷地が日本の一部として独立した島であることを実証しました)、日本海を北上しますが、間宮海峡まで到達できずに北上を断念。中国大陸沿岸を南下し、マカオ、マラッカ海峡を経てスリランカ、喜望峰を越えて1799年2月イギリスへ帰還しました。
大黒島(だいこくじま)
絵鞆岬(えともみさき)の突端、室蘭港の入り口に浮かぶ周囲約700メートル、面積約2.4ヘクタールの小さな島。室蘭八景の一つで黒百合の咲く島として、市民に親しまれている。
沖縄県宮古島
W・R・ブロートン
噴火湾の命名者のW・R・ブロートンは、1792年には“チャタム号”を指揮して、英国探検隊に参加。アメリカ大陸北西海岸を測量し、コロンビア川を溯る探検を行ない、ワショウガルという地にたどりつき“バンクーバー(フオトバンクーバー・バンクーバー砦)”と命名した。現在のワシントン州のバンクーバー市である。
“プロビデンス号”での探検日誌は、北太平洋探検航海記として1804年ロンドンで発行された。彼はこの後“バタビア号”、“ペネローぺ号”、“イラストーリアス号”を歴任、1815年に大佐となり“ロイヤルソブリン号”を指揮した。
1818年、海軍を退役し、1821年3月13日、イタリア、フィレンツェ近郊で生涯を終えた。
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